ガンになる。。。☆
30歳で胃癌の告知を受けたとき、私は妙に、心の奥底の方で、
なにか納得してしまったようなところがありました。
恐らくそれは、メンタル的なことが原因だといういうような直感、
とでもいいましょうか・・・
自分自身と向き合う姿勢が持てなかった、最初の数年。
パン工房を立ち上げ、がむしゃらに働き過ぎ、さらに身体を壊しました。
仕事に逃げ、自分を直視する勇気が持てなかった時期で、心身ともに極限状態でした。
信州、安曇野を訪れたことがきっかけで、多くの出会いがあり、学びを与えられました。
自然療法や自然食、ヨガや瞑想、整体など、次々に実践していく中で、
それまでの自分の生き方、ものの見方が、
どれだけ小さく、偏っていたものだったかに気づかされました。
頑なで、小さな枠にとらわれ、本来人間が持っている自然のエネルギーを
発揮することとは、かけ離れていたのだなと強く感じました。
30歳で、胃癌になるということ。
元々体が弱く、0歳、7歳、12歳と、両頸部と腕の付け根に、
3度に渡るリンパの手術を繰り返していたこと。
物心ついた頃には複雑な家庭環境があり、12歳のとき両親の離婚、
18歳~20歳には自立、母の再婚、深いトラウマとなる事故、
間違った宗教への入信など重なり、
25歳くらいの頃には生きることがとても苦しくなっていました。
ガンだと告知された時、初めは、降って湧いた災難だとも思いました。
自分はこのまま、結婚も、出産も叶わず、死んでいくのかと。
病院からの帰り道、まるで色の付いていない、いつもの見慣れたはずの景色が、
あとから、あとから、溢れ出てくる、止まらない涙でいっぱいでした。
けれども、そういうこと以上に、衝撃だったことは、
「ガンの大手術などという、面倒な事をしてまで助かりたくなどない」
という暗闇の想いに、覆われていたことでした。
「生きて行きたい、どうしても助かりたい」そんな想いのエネルギーは、
私には、あまりなかったように思います。
自分を大切にすること、愛すること、人として基本的なそういう感情を、
恐らく幼い頃から、どこかに置き去りにしてきてしまった自分に、
途方もなく、愕然としていました。
自分の価値を低く決めつけ、ないがしろにしてきてしまったのですね。
ずっと、そういう気持ちを、強く押し込めて生きてきたのだろうけれど、
自分がとても粗末で、価値のない扱いを親から受けたという記憶は、
根深い傷となって残り、決して消すことはできなかったのです。
私は、物心付いたころからしっかりとした性格で、親としての役割を
何一つ果たそうとはしない、身勝手な父が許せませんでした。
そして、ずっと長い間、強い憎しみを抱えて生きてきたのです。
私の生き方、仕事の仕方は極端な偏りを伴っていました。
今では、なるべくしてなった病気だったのだと分かります。
環境や出来事によるストレス、そして性格的なものによる極端な生き方が、
身体にも不自然な流れとなって現われたのでしょう。
ガンは、自然の流れに沿ってゆっくりと、もっと楽に生きればいいのだよ、
という、サインだったようにも思います。
マイナス的な感情、エネルギーは自分自身に必ず返ってきます。
そして、プラスのエネルギーである、思いやりや愛情なども
必ず自分自身に返ってくるのです。
自分が毎日、どういうエネルギーで生きているのか、
それは未来へ繋がる、とても大切なことなのです。
恩師とゆらのトラウマ・・・☆
一昨年の秋、整体の恩師である岡島瑞徳先生を亡くしました。
数年前、スマトラ沖大地震で、被害に遭われた整体の団体があったことを、
覚えている方も多いのでは?と思います。
そのときの岡島先生の体験は、
想像を絶する、凄まじいものだったと思います。
ご自分は足に大怪我を負いながら、奇跡的に命は助かったものの、
多くの会員の方や、お弟子さんを亡くされてしまいました。
地震の恐ろしさも、然ることながら、ご自分が旅行に連れて行かれた方々を、
一瞬の内に失うことになってしまった、深い心の痛手、責任感。
そのとてつもない重圧が、どれほど凄まじいものだったろうと・・・
はたち・・・死を意識したトラウマ。。。☆
20年以上昔ですが、私は憧れの北海道へ、
一人旅立ったことがあります。
二十歳になったばかりの夏、北海道の牧場で手伝いをする事になりました。
忙しい草刈の時期で、私は大きな農機具を運転していました。
その時お世話になっていた知人に、大怪我をさせてしまったのです。
奇跡的に命は助かったものの、「私がそこに存在したことによって、
恐ろしいことを引き起こしてしまった」という想いは、
その後も長い間、トラウマとなって深く残り、苦しみました。
岡島会長は地震の体験の後、とても痛々しく、見てはいられないほどでした。
それでも休むことなく、指導や治療にあたっておられる姿を拝見し、
私は何かをせずにはいられませんでした。
先生の体験したことは、私が体験したことに、
似た重なりを感じたからです。
私の北海道での事故によるトラウマは、
瞑想(内観)を実践したことにより癒されたことを、
手紙でお伝えしたことがあります。
でも、逆に、先生のたった一言で、
私のほうがとても癒されてしまいました。
それは、言葉、というよりも、
深い傷を負ってきた者同士でなければ、
実感することができなかったことだろうと思います。